コラム5-洪水

 では、前回の答え合わせから、学校の敷地内にある災害準備物で一番わかりやすいのは体育館の渡り廊下の外にある防災備蓄倉庫ですね。中には食料、水、毛布等が入っています。
 次は、職員室廊下から中庭に見える銀色の受水槽、地震の際に緊急遮断弁が動作し、中に入っている水道水が非常用の飲料水として確保できるようになっています。そしてプールの水は大規模火災の際の水源(水利といいます)に確保されています。最近、停電の際にも点灯が可能な街灯が、学校式敷地内に2か所設置されました。

 災害の準備には、さまざまな準備が必要ですね。各家庭でも2~3日分の食料、飲料水、ラジオ、懐中電灯、カイロ、などをリュックに入れ、ヘルメットや軍手等安全用具と一緒に、緊急時に持ち出しやすい位置に用意してあると万が一の際に安心です。さて、今回のテーマは『洪水』です。

 2018年7月の記録的な豪雨(平成30年7月豪雨)では、西日本の広範囲にわたり多くの被害が発生しました。河川の氾濫、土砂崩れ等により多くの人命と、建物の流失、損壊が発生しました。道路・鉄道の寸断やマヒが発生し、農産物も含め多くの産業の損失が発生しました。テレビのニュースなどで洪水の様子を見て驚かれたり、恐怖を感じた方も多いのではないでしょうか。
 近年の地球温暖化により、日本でも集中豪雨が発生する回数が増えてきました。福井でも、平成16年(2004年)7月17日から18日にかけて、能登半島沖に停滞していた梅雨前線がゆっくりと南下しはじめ、福井県嶺北北部の足羽川流域を中心とした狭い範囲に集中豪雨をもたらしました。特に激しく降ったのは、18日の早朝から昼前にかけて、美山町(現在は福井市に編入)では1時間に96mmという、かつて経験したことのない猛烈な雨に見舞われ、福井市や池田町もほぼ同様の状況でした。早朝に美山町を襲った集中豪雨が激流となり、下流の足羽川の水位はぐんぐん上昇し、北陸本線や木田橋の上下流部で濁流が堤防を越え、市街地に流れ込み始めました。死者4名、住宅被害は全壊66世帯、半壊135世帯、浸水被害は14000世帯を超える激甚災害となりました。

 この豪雨は『平成16年7月福井豪雨』と呼ばれています。その後、福井では多くの洪水対策が取られました。一時凍結されていた足羽川ダムの建設が開始されたり、福井市内では地下に雨水貯留管や雨水貯留施設が設置されました。市街地の公園も周囲の道路より低く作ってあります。どれも一時的に雨水をため、河川の急激な増水を減らすための施設です。河川の堤防強化や浚渫(川の底をさらって土砂を取り除く土木工事)も併せて行われています。

 春江小学校周辺でも、磯部川の浚渫工事が行われたり、為国のJR線路下部の磯部川拡幅工事が完成したところです。兵庫川や竹田川でも河川改修が行われていますね。福井平野は、もともと水はけのよくない地形で水害に悩まされてきましたが、(毎年のように洪水を引き起こし、竜のように暴れることから九頭竜川と命名されました)長年の治水の努力により、水害に強くなっています。また、水田は雨水を一時的に蓄えるダムの役割を持っていて、水田を保全することは、水害を防ぐ助けになっていることも知っておくとよいでしょう。

 過去、福井は多くの水害に見舞われてきましたが、特出すべきは、昭和23年(1948年)の水害です。集中豪雨により九頭竜川左岸の福井市灯明寺の堤防と、坂井町池見の堤防が決壊しました。福井地震(1948年)によって、地割れや地盤沈下、堤防の破損が発生していたため、九頭竜川の濁流が越流してしまいました。空襲、地震で傷ついたまちは、福井市西北部を中心に再度災害に見舞われ、浸水家屋7000戸を超えました。
 大きな地震が発生すると、さまざまな災害が連動するように発生し被害が拡大します。これを『複合災害』と呼びます。防災計画を立てる際は、最悪の事態も想定しながら、いざというときにどのように行動すれば良いかを考えておくことが必要です。
 九頭竜川堤防の復旧は、人海戦術より復旧されました。多くの人がスコップやクワを持ち作業にあたりました。それは、戦争や地震により仕事を亡くした人に仕事を作るという助けになりました。復旧作業の後半には、太平洋戦争の終戦直後であったため、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部、アメリカ軍を中心とした機関)からダンプトラックとブルトーザが投入されました。一気に土砂を敷きならす様子をみて、当時の人は「よくあんな国と戦争をしたな。」と思ったそうです。GHQからは、他にも食料品や飲料水、衛生管理などの支援があったそうです。 

 さて、クイズです。豪雨で九頭竜川が決壊した場合、春江小学校周辺は、どれくらいの深さで水没すると予想されているでしょうか?答えは次回。

2019年05月29日