コラム4-福井地震の被害と防災

 前回のクイズの答えは春江南(尋常)小学校にあった二宮金治郎像は、2018年3月まで春江町江留上旭にある旭公園にありましたが、江留上住民の要請により福井県教育総合研究所(元の春江工業高校)の敷地内に移設されました。
 研究所のにある二宮金治郎像の足元には『江留上文教発祥之地』という石碑が設置されていて、それには大正6年(1917年)4月、春江東尋常小学校江留上文教所之跡、昭和10年(1935年)9月春江南小学校之跡とあります。春江南(尋常)小学校にあった二宮金治郎像は元にあった場所に戻ったんですね。
 旭公園には春江南保育所(旧 春江町第1保育所)が併設されていて、廃校になった春江南小学校の二宮金治郎が、地元の子供を見守るためということで春江町第一保育所に移されたと思われますが、確かなことはわかりませんでした。
 福井県立春江工業高校は2016年3月に閉校し、その場所には福井県教育研究所が移転することになりました、教育研究所に改修の際、廃校であった福井市一光小中と敦賀市常宮小の金治郎像の2体も移設されていて、現在教育研究所敷地内には、合計3体の金治郎像があります。

 さて、1948年(昭和23年)6月28日16時13分(当時サマータイムで17時13分)に福井地震が発生しました。丸岡町が震源で、丸岡城も倒壊してしまいました。昔はかまどで料理する家庭が多く、夕食の支度の時間であったため、同時に多くの火災が発生しました。
 倒壊した建物で道路が通行できなくなっていたため、また水道管の布設されていなかったため消火が不可能でした。液状化現象のため、いたるところに泥水が吹き出し水たまりがありましたが、水をくみ上げる道具もなく、また、火事の勢いもすさまじいため、ほぼ燃えるがままだったそうです。火事が完全に収まるまでに数日要しました。春江小学校区では、江留上の被害がひどく、特に江留上の中心部は、ほぼすべてが焼き尽くされてしまいました。
 江留上錦の墓地や随応寺の嶺北消防本部横には、震災慰霊碑があるのですが、多くのお名前が石板に記され、被害の大きさが想像できます。

 地震には備えが大切です。嶺北消防署には、多くの機材が準備され、春江小学校区ではボランティアの消防団員、坂井第8分団・第9分団が、日頃災害に備え訓練を行っています。
 地震に強い水道管、消火栓や防火水槽を設置したり、地震に強い建物に建て替えるといった、災害に強い都市にするという「事前復興」という考え方も重要です。

 皆さんも大きな地震が発生した場合、揺れが治まってから直ぐに火の始末、電気のブレーカを切り、非常持出袋を持って避難を始めましょう。準備や訓練はしていますか?

 ここでクイズ、春江小学校に準備したある災害準備物は何でしょう?答えは次回、一つではないですよ。写真は教育研究所の二宮金治郎像と、旭公園からの移設工事の様子。











 

 

 

2019年05月28日