コラム2-福井平野の成立~春江小学校の建設

前回に続き、コラム2の原稿です。

 春江小学校は、福井平野のほぼ中心に位置し、学校周辺はほぼ平坦な地形になっています。昔から春江で一番高い山は小学校の築山という冗談があるくらい地形に高低差がありません。(下図は国土地理院HPより、現在の地形図)

 

 福井県嶺北北部は7000万年から200万年前の地殻変動により、大きな入り江になりました。そこに九頭竜川・竹田川などの河川が山から運んできた土砂が入り江の底に堆積し、のちに広大な湿地が作りだされました。これが現在の福井平野です。
 湿地では古代人が住み始め、稲作を始めました。その遺跡は春江小の北側にある磯部川付近でも見つかっていて、昔の水田跡や住居跡、土器が磯部川河川改修前の調査で発掘されています。 また、春江町内では銅鐸も発見されています。井向のジェイデバイス工場の近くに記念の石碑があり、坂井市役所春江支所には銅鐸のレプリカが展示されていますね。大昔から多くの水田と村があった名残です。

 福井の地名には、水に関するものがたくさんあります。春江の「江」は、大きな川や入り江を意味し、福井の伝説には、洪水を治めたり、水不足のお話がたくさんあります。しかし、長年の治水の努力(磯部川などの排水路、春近・十郷用水路の整備、パイプライン等建設)により福井平野は素晴らしい田園地帯に変わりました。コシヒカリは福井生まれってしっていますか?。
 昭和24年(1949年)、春江町では江留上・為国を中心に人口が急増したため、新しい学校建設が求められました。田・湿地が埋め立てられ、現在の場所に春江小学校の建設が始まりました。

 ここでクイズ、現在の春江小学校の敷地内には、さまざまな石碑があります。注意深く見ていくと、アレっと不思議に思うものがあります。それは何でしょう?答えは次回

2019年05月11日