令和という新しい時代の始まり共に、弊社WEBとブログを始めることにしました。と書くと大げさになりますが、新時代への期待と高揚感とともにスタートすることに決めました。
様々なSNSツールがある中で、今どうしてブログを選択するのか?とお思いかもしれませんが、ブログって少し古い印象があったり、更新する手間がかかる不便さや速報性に欠けるところがありますが、弊社の考えている事や、思いが伝わるには最良と考えています。
文才はありませんが、そこはご容赦をm(__)m
TEL.0776-51-0550 FAX.0776-51-8550
〒919-0453 福井県坂井市春江町江留上中央3番地2
ブログ『読んだら始まる水道物語』です。このブログにて渡辺設備(株)の日常を、ご紹介させて頂きます。弊社施工の状況や日々雑感等を書きたいと思います。ご興味がございましたら、御一読下されば幸いです。
令和という新しい時代の始まり共に、弊社WEBとブログを始めることにしました。と書くと大げさになりますが、新時代への期待と高揚感とともにスタートすることに決めました。
様々なSNSツールがある中で、今どうしてブログを選択するのか?とお思いかもしれませんが、ブログって少し古い印象があったり、更新する手間がかかる不便さや速報性に欠けるところがありますが、弊社の考えている事や、思いが伝わるには最良と考えています。
文才はありませんが、そこはご容赦をm(__)m
連休前4月27日になりますが、弊社から徒歩2~3分の距離にある『江留上コミュニティーセンター』お披露目会がありました。老朽化した建物を一部リフレッシュし、区民が集えるホールを増築されました。弊社も機械設備(給排水衛生設備、空調換気設備)などを工事させていただきました。
もともとの古いコミセンには、とんがり屋根が特徴の児童館、婦人の家が併設されていましたが、それらは取り壊され、新しい建物に統合されました。
児童館は、私が子供の頃の遊び場で思い出深い場所です。その取り壊しの際は、ノートルダム大聖堂が崩れるのに似た衝撃がありました。しかし、新しくなったコミセンも見たり、地域の方の喜びを見ると、工事に参加させていただいてよかったと心の底からから思えます。この建物が、永く地域の方のお役に立てますように。
昨年度(2018年)になりますが、地元貢献ということで、地元小学校の『校長室だより』に原稿を寄稿しました。テーマは『地元春江町の歴史と安全安心について』。校長先生と話し合った結果、地元の歴史や災害や事故から免れる生き残るための知識を、子供達や保護者に伝えようと企画したものです。20話分の原稿を用意したのですが、年度途中で色々とあって掲載は中断してしまいました。
没になった原稿ですが、時々このブログにて公開しようと思います。
建築にかかわる仕事をしていると、その土地の気候風土や歴史について知ることの大切さを感じることが多々あります。また、近年大規模災害が増加するなかで、安全確保の重要性が増しているのを感じます。このコラムが、皆さんのお役に立てればと思います。
写真は地元小学校の二宮金次郎の像
先日ブログに書いた、地元小学校に寄稿した1回目のコラム原稿です。昨年度の原稿のため、内容が古いところがありますが、一部訂正・削除した以外は、ほぼ、そのまま載せています。そのため一部去年の内容になっています。ご了承下さい。
本年度より3年間をかけてPTAの方々や地元の方々の御協力をお願いして、春江小学校地域連携事業を行いたいと思います。折しも今年は福井地震から70年目、また、不死鳥福井の国体が開催される節目の年に当たります。
今1冊の本が私の目の前にあります。『春江小学校百年史』と金文字製本されたとても立派な本です。春江小学校の歴史とともに、昔の貧しいながら知識を求める子供たち、太平洋戦争、福井地震、豪雪など様々な困難を乗り越えながら教育環境を守り、発展させてくださった地域の皆様の努力、先生方の教育に懸ける思いが記されています。
この本を読み進めていくうち、これらの思い、情熱と共に、地震等大きな災害を乗り越える力・勇気・知恵も子供たちに伝えたいと思い、このコラムを『校長室便り』書くことになりました。
福井地震の話を中心に、春江小学校・地元の歴史を縦糸に、過去の出来事を横糸に、時々話が脱線するかもしれませんが、地元の産業・絹織物のように1年間かけて、話が広がっていけばいいなと思っています。
歴史(HISTORY)の中には物語(STORY)が隠れています。春江の歴史にはどんな物語が隠れているでしょうか?家族の方みんなで春江の歴史にふれてみて欲しいと思います。
前回に続き、コラム2の原稿です。
春江小学校は、福井平野のほぼ中心に位置し、学校周辺はほぼ平坦な地形になっています。昔から春江で一番高い山は小学校の築山という冗談があるくらい地形に高低差がありません。(下図は国土地理院HPより、現在の地形図)
福井県嶺北北部は7000万年から200万年前の地殻変動により、大きな入り江になりました。そこに九頭竜川・竹田川などの河川が山から運んできた土砂が入り江の底に堆積し、のちに広大な湿地が作りだされました。これが現在の福井平野です。
湿地では古代人が住み始め、稲作を始めました。その遺跡は春江小の北側にある磯部川付近でも見つかっていて、昔の水田跡や住居跡、土器が磯部川河川改修前の調査で発掘されています。 また、春江町内では銅鐸も発見されています。井向のジェイデバイス工場の近くに記念の石碑があり、坂井市役所春江支所には銅鐸のレプリカが展示されていますね。大昔から多くの水田と村があった名残です。
福井の地名には、水に関するものがたくさんあります。春江の「江」は、大きな川や入り江を意味し、福井の伝説には、洪水を治めたり、水不足のお話がたくさんあります。しかし、長年の治水の努力(磯部川などの排水路、春近・十郷用水路の整備、パイプライン等建設)により福井平野は素晴らしい田園地帯に変わりました。コシヒカリは福井生まれってしっていますか?。
昭和24年(1949年)、春江町では江留上・為国を中心に人口が急増したため、新しい学校建設が求められました。田・湿地が埋め立てられ、現在の場所に春江小学校の建設が始まりました。
ここでクイズ、現在の春江小学校の敷地内には、さまざまな石碑があります。注意深く見ていくと、アレっと不思議に思うものがあります。それは何でしょう?答えは次回